昔から日本を動かして政治をしようとする人はたくさんいました。成功した人もいれば、失敗した人もいますが、みんな頂点に立ちたいものなのでしょう。
しかし、そこから誰が政治の実権を握るかで権力闘争なども起きてきました。
古代から考えていくと、日本は国というのがなかった時代があるはずです。集落だった時代です。この時の集落の長が族長になるのではないでしょうか?
その次に、色々な集落が統合されて一つの国になったと思われます。邪馬台国の頃には、国としての形が出来ていたと思われます。
この頃は、日本の統一王朝がなくある意味、群雄割拠状態だったのではないかと思います。その前には、倭国大乱という記述もあります。
そして、史書に大和朝廷が出てきて天皇が政治を行うようになりました。しかし、天皇が女性だったり、子供だったり政治が出来ない状態だと代わりに摂政が代理で政治を行いました。聖徳太子などがこれに当たります。
時代がさらに進むと、天皇の代わりに配下の貴族などが政治を行うようになったんです。藤原氏などの関白は、それに当てはまります。豊臣秀吉も関白となり自分で政治を行いましたね。
さらに、院政も行ったりもしました。院政と言うのは、天皇の代わりに上皇や法皇などの元天皇が政治を行う仕組みです。天皇を譲っても自分で政治を動かしたい人はたくさんいたのでしょう。
みんな権力闘争に開けくれたわけです。平安貴族と言えども、和歌ばかり詠んで遊んでいたわけではありません。
暗殺などの血なまぐさいこともやっています。平安時代は何となく百人一首などのイメージが強いのですが、実際には貴族は武芸なども盛んに行っていたようです。
さらに、源平の戦いでの勝者は、源頼朝でしたが、頼朝の血筋は3代で途絶えてしまい代わりに征夷大将軍が政治を行うのではなく、執権である北条氏が政治の実権を握っていました。
さらに、戦国時代などは、自分が天下人になろうと野心家の戦国大名や下剋上により実験を握った人はことのほか多いものです。守護大名が守護代にとって変わられた例も数多くあります。
織田信長の天下統一が優勢になってきて、本能寺の変で明智光秀に打たれた時も、羽柴秀吉は信長の仇を討ちましたが結果的に織田家は秀吉にとって代わられてしまいました。
信長の子孫には忠誠を誓わせています。さらに、配下に近い同盟者であった徳川家康も混乱した織田領である甲斐や信濃に進行して飛躍的に領土を拡大させています。
これを見て思うのは、みんな権力が好きな人ばっかりだと言うことです。忠誠を誓っているようでも裏では野心を持っている人は少なくありません
権力者が疑心暗鬼にかかってしまうのも分かるようなきがします。今の政治家の権力闘争も今に限ったことではなく、昔からあったことだと思いました。
昔に比べると暗殺したりしないだけ、平和になったと思います。